878.行方不明になった人

■--(無題)
++ こにゃんこ
今日見た夢です。

車に乗ってどこかに行こうとしている途中に、行こうとしていた家に関係していると思われる男性が、道路脇の雪山の中で何かをしているので、車をとめて「何をしてるの?」と声をかけると、「昨日除雪中に行方不明になった人が居て探してるんだけど、そろそろ陽が暮れてきたからね」と言って探すのをやめて帰ってしまいました。
私はまだ明るいから少しだけでもと思い掘りはじめ、すぐに、積雪の比較的少ない所で体育座りをして丸くなっている男性1人を見つけました。
もう1人見つけなくちゃ!!と思い、すぐ横を掘ると、同じ体制で寄り添っている男性を見つけました。
二人の後姿は20代後半〜30代前半くらいの男性です。
見つけた時は、自分にこの年代の友達は居ないので、知らない人だと思っていたのですが、心の中が悲しくなって泣きそうな気持ちでした。
その男性達に触れようと手を伸ばしましたが、結局怖くて触れられず、とにかく早く見つけた事を知らせに行こうと、さっきの男性も居るであろう目的地の家まで車を置いて走って行って、見つけた事を教えて、皆が慌てて現場に行くという夢を見ました。
私は一緒に現場にはいかず、その家に残った女性と手を握り合って寄り添っていました。

もう一つ気になる夢があるので、続いて投稿させて頂きます。
女・31歳・1回目
.. 6/13(Thu) 13:34

++ こにゃんこ
場所は実家で、廊下横の階段を上ろうとすると、隣接する廊下の奥から何かがやってくる気配がありました。
親からそういう話も聞いていたし、私自身他の場所で何回か嫌な目にあった事があったので、ヤバイ!!これは何か来る!!と思って逃げられずに居ると、紺色の着物を着た、性別の判断がしにくい小さな子供が現れました。何歳くらいなのかもわかりませんが、きちんと話せて自分で歩ける年齢の子だと感じました。
その子は本当小さくて、ガラッガラに痩せていて、顔が一番印象的だったのですが、見た瞬間にこの世に生のあるモノでは無いと分かりました。痩せこけた顔が崩壊(?)していて、無表情。
歩き方も、足が地に着いておらず、スーっと車庫に繋がっている扉の方へ移動していました。とにかく恐怖しかなくて、怖くて怖くて発狂しそうだったんですが、狂ったフリをすれば大丈夫なんじゃないか?と思い、狂ったフリをしてその子の頭に触れたりして一緒に歩きました。子供がは相変わらず前しか見ておらず、無言で進んでいました。
場面は一転して、同じ実家の一階の部屋。珍しく家族全員で一階に居る。
皆で話してると、二階の居間からざわざわ話し声がする。
皆ここに居るのに何故!?と思ったけど、家族は普通に喋ってる。どうしても二階から聞こえるざわつきが幻聴とは思えず家族にその事を言うと、父以外の家族が気付いてた(実際に父には今まで何かが見えた事はなく、女性陣は少し見えたり、感じたりという事があります)。
で、話した結果、二階に行ってみるかって話になって、怖くて十字を切ったり、覚えてるお経を唱えたりしていると、我家は一階と二階にが吹き抜けで見えるようになっているのですが、二階の人達がこっちを見て、「そんな事しても無駄なのにね」って言っているのが聞こえ、余計怖くなり、実際だったら絶対先頭にはたたない父が先頭になり、皆で一列になって二階の階段を登っていきました。
階段の踊り場辺りから、色が無くて、生気を感じられない、この世に命の無い人達がズラっと居間のある部屋まで並んでいました。
皆、お葬式の格好をしています。
その参列している人達に見覚えが無いので、二階の居間で行われてるのは知らない人のお葬式なんだと思います。
階段を上ってる最中も、皆には、この並んでる人達は見えてなかったように思います。
居間に着く前に夢は終わりました。
.. 6/13(Thu) 13:44(書き込み日時)
.. 6/13(Thu) 15:18(直した日時)

☆ 夢解釈No.878 ☆
はじめまして。
一つ目の夢は、おそらく、ご本人の私生活における男性的な性格の側面(知的な判断力や自立性、決断力、発言力、論理性、忍耐力、合理性、創造性、客観性、意識性など)と大きく関係があります。
この夢では、雪というあなたの中で冷たく降り積もった、耐えがたい感情や忍耐に埋もれるようにして、そんな何らかの男性的な性格の要素、2人を見つけ出すことに成功します。

しかしそれは、いままでずっと、意識野で機能させることが出来ずにいたような、無意識下の雪の中で影を潜めていた男性的性格の要素ですので、その存在を目の当たりにすると悲しくなり、触れる勇気さえ出ずに、いつものご本人である女性的な側面に戻り、寄り添うことになります。

二つ目の夢では、さらに無意識に深く入り込んでいるような印象があります。
フォン・フランツによると、死後の世界やあの世とは、心理学者が無意識と呼んでいるものと同じであると言います。

そして実家は、幼い頃からある程度思い通りに、いつも自分らしくいられる場所、ということから、夢の中の実家は、素の状態のときのようないつものご本人らしい時の意識の全体性を象徴していると考えられます。

今回の夢では、そんな普段のあなたらしい意識領域に、「あの世」という無意識の世界が直接的に介入してきます。

夢の中の「痩せこけた子ども」や「この世に命の無い人達」という心像は、ご本人が幼い頃から現在まで、心が成長してきたプロセスの中で、あなた自身があの世(無意識)に排除し、切り捨ててきた様々な人格の側面が表現された心像であるように感じられます。

あの世(無意識下)に切り捨てられてきた様々な人格の側面は、供養されたがっているのか、皆、お葬式の格好をしています。
.. 6/13(Thu) 15:57

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-無し-