参考

1001.息子がバイク事故

ぽん
48歳、男性、2回目

今回も気になった夢を見ましたので投稿いたします。

何故か二十歳の息子の運転で車でドライブに出かけていました。現実の息子は車とバイクの免許はありますが、ペーパードライバーです。スピードが出すぎているので落とすよう注意する助手席の私の忠告を受け流しそのまま下りのカーブにさしかかりました。何とか曲がりきった後が急な坂となっており更に加速したまま遮断機が降り始めた踏み切りが待っていました。ブレーキが間に合わずそのまま踏切内に突入。
ここで何故か突入したのはバイク(原付)に乗った息子独りで父親の自分は踏切の手前で立ってその光景を見ていました。乗っていた車の存在は無くなりました。直ぐに電車が近付き辛くも踏切から脱出。たまたま傍に立っていた警官が事故検証を始めたところで私も駆けつけ減免折衝に入りました。何故か野次馬の中にいた私の大学時代の部活の先輩二人も加勢に入ってくれていました。同期一人も野次馬の中に見かけましたがただこちらの様子をみていました。その後で一人の先輩の住まいに寄っていくことになり、先輩二人と私と息子の四人で向かいました(何で移動したかは不明)。何棟か同じような作りの平屋の貸家でした。他愛ない会話をして時が過ぎたところで近所のおばさんがバイクが邪魔になっているのでどけるようにと教えに来てくれました。何故か乗っていたバイクではなく大型のバイクでした。そろそろおいとましますとそのバイクに股がり息子を後に乗せて走り去ったところで目が覚めました。
私は学生時代に大型バイクに乗っていましたのでまた乗ってみたい気持ちはありますが、今は自家用車だけです。自身がバイク事故(対向車線から急に右折してきた車と衝突、バイクは大破するも幸い無傷)を経験したこともあり子供には危険なので車だけにするように言っております。一時はバイクに乗りたいと言っていましたが今は言わなくなり車にも全く興味がありません。最近カナダの語学留学から帰ってきました。同時に大学三年になったのを機に一人暮らしのマンションを退去して自宅に帰ってきました。将来に向けて順調に準備をしており親子関係は上手く行っていると思います。因みに高校生の娘と妻との四人家族です。
夢の中に出てきた踏切と貸家は、私が幼少期を過ごした田舎の祖母の自宅近くの踏切と、祖母が所有していた貸家だと思います。
宜しくお願いいたします。
.. 2016年04月26日 (火) 04時20分

☆ 夢解釈No.1001 ☆
お久しぶりです。
あなたは息子さんを思い浮かべたとき、どのような連想が働きますでしょうか?
また息子さんを知らない人にその性格を聞かれたとき、どんな子と説明なさるでしょうか?

そのようなあなた個人の連想傾向にもよりますが、例えば、ER緊急救命室という海外ドラマでは、サムタガートという登場人物が「息子は自分自身と一緒だよ」といったセリフがあり「子どもに夢を託す」というセリフを聞くこともあります。
夢のなかの息子は、現実の息子とは間接的な関係しか無く、おそらくそれは、あなたの建前の内側に隠された男性的な「本心」や「将来性」あるいは「夢」や「希望」のようなものを象徴していると考えられます。

そして今回の夢では、そんな息子(心の奥底の本心)に運転を任せ、ドライブという人生の道のりを楽しんで進んでいる場面からはじまります。
ここには社会的に必要な常識的な礼儀や建前などはなく、このときはその内側にある本音で人生を邁進していこうという心境にあったと言えそうです。

ですがそれでは社会的には多少問題があるのか、踏切事故を起こしてしまいます。

夢のなかの踏切事故は、現実での社会的な側面において、本音のみで押し通すことの危険性のようなものを意味していると思われますが、ケガを負う程の大きな事故ではないようです。

夢のなかの警官は、あなた自身が持っている社会的な良心や正当な観点からの厳しい見方、のようなものを象徴しており、野次馬はそのときに生じた雑念のようなものを意味しているのかも知れません。

その中にいた大学時代の部活の先輩二人は、その人物で表現するのが最も相応しい、あなた自身の無意識下の何らかの性格の側面が人格化された心像だと思われます。

そしてそのとき、自分と息子、二人の先輩という四人となります。
分析心理学では四という数字は「全体性の数」と言われており、この数字は、心が極端に偏っていたり少し苦しい状況にあるときに生じやすい数字で、不安定となりやすい全体のバランスを、なんとかして無意識が整えようとするときに生じやすい数字のようです。

そしてその四人で平屋の貸家にむかい、他愛のない会話をして時間が過ぎると、そのときおばちゃん(女性的な心の働き)によって、大型バイクという男性的な心の働きはどけるように言われます。

おそらくそのときまでは、男性的な性格に極端に偏っていたので、大型バイクを排除することによって全体のバランスを整えようと無意識は働きかけたものと思われます。

夢のなかの平屋は、もう一度我に返り、考え方を整理するための場所というようなニュアンスがありそうです。

すると今までの出来事を教訓にしたのか、今度は自分の人生の舵はいつもの自分で取ろうとしているかのように、本音(息子)を後ろに乗せてバイクを走らせます。
今度は息子を後ろに乗せているので、(おそらく常識的な建前を持っているような)いつもの自分自身に戻っています。

また、夢のなかに出てきた踏切と平屋は「幼少期を過ごした田舎」とのことですので、この夢は全体的に、幼い頃から持っていた何らかの心の問題と関係しているのかもしれません。

この夢からは、
1.建前の内側にある本心に身を任せて人生を楽しんで進めていると
2.それでは社会的に問題があることを警告され
3.平屋に行って内省あるいは反省して
4.今度はいつもの自分の手で人生を走らせる
という文脈を汲み取れそうですね。
いかがでしょうか?

.. 2016年04月26日 (火) 21時17分

【返信レス】
夢解釈ありがとうございました。

息子のことではなく自分の内面を現した夢だということで、想像を超えた解釈で驚いておりましたが、何回かめいやさんの文章を読み返しているうちに納得というかそのとおりなのかもしれないと考えるようになりました。

当初の自分なりの解釈は、二十歳になった息子には一人の男として自分の人生を切り拓いて行くことをサポートしていきたい。しかしながらこれから就職して社会人としていろいろなことに突き当たるのでまだまだ手をさしのべないと心配だという過保護な親の心境を現した夢かと思っていました。

登場した先輩二人は一流企業の同じ会社に勤めておいでで、その会社は息子の性格や資質などから親として理想的な就職先と勝手に考えていたところでした。
しかしながら、これまでかなり部分の人生の選択において私の影響を強く受けていた息子が、親元から十分通える距離の大学にもかかわらず本人のたっての希望で1年間一人暮らししたことや、自分で決めてきた短期留学でのいろいろな経験から一人の男としてずいぶん成長したなと頼もしく思った一方で、一人暮らししたマンションの不動産会社との契約をめぐる折衝や、留学斡旋会社との詳細なやり取りなどはまだまだ危なっかしいのでサポートしてしまったなどの実生活の出来事があったからです。

夢が自分の深層心理を現すということならば、めいやさんの解釈は確かに現在の自分の実生活の中でそういうことなのかもしれないと考えさせられる点がありました。
一回目の相談の時もそうでしたが、めいやさんの夢解釈とは、自分の深層心理を覗きにいくきっかけを与えてくれる存在で、ある種の怖さというか畏敬の念を抱く一方で、日々忙殺さる日常において今の自分に向き合いこれからの人生を考えていくうえでとても良い機会になっています。

ありがとうございました。
2016年04月29日 (金) 06時28分

返信を頂きまして、ありがとうございます。
「人間と象徴」という本のなかでユング博士も解説しているように、夢の意味は一つではなくとても多義的です。
今回、頂きましたご本人の解釈は、客体水準による解釈といって(何回か読み返しましたが)常識的な考え方だと思います。
このサイトではこの観点からの解釈はあまり行っておりませんが、こちらとしても勉強になり、ありがとうございます。
畏敬の念を、とのことではありますが、また気軽に連絡を頂ければ幸いです。
ありがとうございました。
2016年04月29日 (金) 12時26分